2007年09月02日

■はじめての文学(村上春樹)

てえてえと図書館へ。
一緒に児童書の本棚をのぞいていたら、気になっていた本を発見。
 

 
村上春樹ファンの太郎さんに近づこうと、「パン屋再襲撃」や「ノルウェイの森」などを読んだことがありますが、ファンにはならなかった私。
はたして“若い読者”のために、どんな作品が用意されているのか興味があります。
…実は私、痛い話が苦手です。
洗練された世界で、しがらみとは縁がない主人公は、あくせくと生きることはしない、そんなスマートなお話の途中、突然“残酷な”描写がひょっと顔を出すので、むしろショックは大きくなります。
鴉同士の乱闘があったり、象の水増しがあったり、かえるくんにこぶができたりすると、まいってしまいます。
作者があとがきで自ら解説しているように
幻想の裏側にある激しい暴力性や、避けがたい腐敗や、救いのない崩壊ぶりに強く心を惹かれるところがある

のでしょうが、私はそこで動揺するあまり、物語全体を味わえないのかもしれません。
他の作品と雰囲気の異なる「沈黙」は、いじめの加害者への憎しみを乗り越えた後の静かな感情というものに、はっとさせられます。
孤立やいじめの体験がある人ならば、周囲の人間がこの作品を読んでくれたら、と願うかもしれません。
自分が読んで救われる作品というより、“第三者のふりをしていた人”に読ませたい、知らせたいという感想を抱きました。


posted by ひなっぺた at 22:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 絵本・児童文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おひさです。
私は、人が、良い、あの作品は名作だと絶賛されている現代小説などを自分がピンとこなかったり、読もうという気になれなかったりすると、劣等感というか自分は感性が足りないかおばかなのかな?と思ったりしますが、最近は、「たかが本」「たかが芸術」誰にでも相性はあると思うようになりました。
村上作品ぜーんぜん知りません。

>孤立やいじめの体験がある人ならば、周囲の人間がこの
>作品を読んでくれたら、と願うかもしれません。
>自分が読んで救われる作品というより、“第三者のふりを
>していた人”に読ませたい、知らせたいという感想を抱きました。

昔、職場で、いじわるな先輩にいたい目にあっていた時、当時、もっと大先輩だった女性が、
「注意してあげたいけど、あの人にきつく言うとあなたがもっといたい目に合うでしょ。だからああいう人だと思って仕事頑張りなさい。課長も来年の新入社員は可哀想だからあの人の下には付かせないって言ってるの」
などと言われたことを思い出しました。(どいつもこいつも馬鹿だった。大企業ってもこれが実体)
いかにも善人ぶった女性でした。仕事頑張れって、新入社員が、直属の指導者に「仕事」でいじわるされて困ってんのに見ざる言わざるってか?
別に執念深い方じゃないけど、何十年たっても何かのきっかけで、その人らの偽善を思い出します。
今の私が当時の彼女の立場だったら、20代前半の後輩のためにも何らかのアクションを起こしていたでしょう。少なくともあのような反吐が出るような偽善は吐かない・・・それが、プライドであり、そんな大人にならなっかった部分では勝ったことでもある・・・と言いたいです。

でも、汚い心の人間に良い本読ませたって、どーせなんも感じないと思ったりするよ。
Posted by sumi at 2007年09月15日 00:03
■sumiさん、こんにちは。
> 汚い心の人間に良い本読ませたって、どーせなんも感じないと思ったりするよ。
 
たしかにその通りですね。
周辺に理解者が現れたとしても、本当にメッセージを受け取って欲しい人には、なかなか届かないのが現実だな、と私も実感しています。
たとえば、うちの子のいじめに関わっていた子の親が、本も手に取らなければニュースも見ない、もちろん目の前の現実に自分がかかわっていることにも自覚がないって時に、次のように思うのです。
「もうちょっと広い視野で自分の立場をとらえて欲しいな」
「自分は常識からずれていないかしら、と自分を疑って欲しいな。」と。
そんな人になる前に、多少本を読んでおいた方がいいかもしれません。
本って、後からじわりと効き目が出たり、不意に回線が繋がったりすることがあるので、私はまだちょっぴり期待してるところがあります。
Posted by ひなっぺた at 2007年09月15日 23:45
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